第308話 仏性その百十七 風火未散

 「「風火未散」といふは、仏性を出現せしむるなるべし。仏性なりとやせん、風火なりとやせん。仏性と風火と、俱出くしゅつすといふべからず、一出一不出といふべからず、風火すなはち仏性といふべからず。ゆゑに長沙は蚯蚓に有仏性といはず、蚯蚓無仏性といはず。たゞ「莫妄想ももうぞう」と道取す、「風火未散」と道取す」。

 (竺尚書が二つに切れたみみずがともに動いているのをどう考えればいいかと質問したことに対し長沙禅師が)「風火未散」と言ったのは、仏性について考えることを引っ張り出すものであろう。(みみずが二つに切れてともに動いているという現実は)仏性であるとするのか、風火であるとするのか。仏性と風火とがともに出ていると言ってはいけない、片一方が出てもう一方は出ていないと言ってはいけない、風火はすなわち仏性であると言ってはいけない。であるから長沙禅師は「莫妄想」と言い、「風火未散」と言ったのである。

 みみずが二つに切れて両方とも動いている。これを見て、動いているのは仏性によるものなのか、風火という物質のエネルギーによるものなのかと道元禅師は質問する。そして示される。ミミズが切れて両方が動いているのは、仏性と風火がともに現れているということではないし、仏性と風火と一方が現れたら一方は現れないということでもなく、風火とは仏性のことであるなどといってはいけないと説かれている、

 みみずが切れて動いている、これが現実の有り様だ。その現実に対して頭の中で観念的に仏性だ、風火だとつべこべ考える意味がどこにあるだろうか。妄想するなである。みみずに動くだけのエネルギーがまだ残っているだけのことだ。

 このように受け止めればいいのではないかと思っている。

 

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