第303話 仏性その百十二 観念を放り捨てよう

 「いま尚書いはくの「蚯蚓斬為両段きゅういんぜんいりょうだん」は、未斬時みぜんじは一段なりと決定けつじょうするか。仏祖の家常かじょう不恁麼ふいんもなり。蚯蚓もとより一段にあらず、蚯蚓きれて両段にあらず。一両の道取、まさに功夫参学すべし。」

 今尚書が言うところの「蚯蚓斬為両段」は、まだ切られていない時は一つだと決めつけるのだろうか。仏祖の日常の中ではそのようなことではない。みみずははじめから一つではなく、みみずは切れて二つなのではない。一つ、二つの言葉をまさにいろいろと考えて学ばなければいけない。

 観念に囚われて「これはこうだ」と決めつけることを戒めているのだと私は思っている。

 地、水、火、風が物質の構成要素とされている。長沙禅師が「風火未散」と言ったのは地水火風のうちの二つを取り上げている訳だ。

 地水火風で物質が構成されているのだとしたら、一匹のみみずも地水火風が寄り集まったものとも考えられる。だとしたら単純にみみずを1つと考えていいのだろうか。切れたら2つと単純に言っていいのだろうか。

 あるいはすべての存在は大宇宙の一部であり大宇宙そのものだと言える。であれば、みみずも大宇宙そのものであり、一つ、二つという概念で捉えるものではないとも言えるのではないだろうか。

 人間はちっぽけな観念に囚われがちだ。観念を放り捨てて真実・真理に生きなければいけない。大宇宙と一体となって生きなければいけない。そのために坐禅があるのだ。

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