第302話 仏性その百十一 仏教は科学的である
「
書云、「争奈動何(動ずるはいかがせん)」。
師云、「只是風火見散(
長沙景岑禅師のもとで仏教を学んでいる人々の中に尚書という役職の役人がいて質問をした。「みみず(蚯蚓))が切れて2つになった。いぶかしく思う。仏性はどちらにあるのでしょうか」。長沙禅師は言った「妄想してはいけない」。竺尚書は言った「動いているのはどうしてでしょう」。長沙禅師は言った「ただ風火がまだ散ってしまっていないからだ」。
尚書というのは行政の役職とのこと。かなり偉いらしい。
みみずが2つに切れて両方動いている。仏性はどちらにあるのかという質問だ。長沙景岑禅師は「妄想するな」そんなことに引っ掛かって頭の中で考えても仕方ないだろうと答えたが、竺尚書は「それでも動いているじゃないですか」と食い下がる。そこで長沙景岑禅師は「風火が散ってしまっていないからだ」と答えた。風火について西嶋和夫氏は風=気体、火=化学反応と説明されていたように思う。私は西嶋氏の考え方で良いのではないかと思っている。切れたみみずが動いているのはみみずの身体でまだ細胞などの活動、反応が続いているということではないか。仏性がどうのこうのではなく、化学的な現象だとしているのだと思う。
仏教は神秘的なものではない。スピリチュアルなものではない。極めて現実的、合理的、科学的なものだと思う。
この後、道元禅師が解説をされる。
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