第301話 仏法その百十 それでも有仏性だ

 「しかあれば、半枚学仏法返事はんまいがくぷっぽうへんじひさしくあやまりきたること日深月深にっしんがっしんなりといへども、これは這皮袋しゃひたい撞入とうにゅうする狗子なるべし。知而故犯なりとも有仏性なるべし」。

 そういうことであるから、仏法の全体ではなく半分ほどの周辺のことを学ぶという誤ったことをひさしく続けることで月日を重ねていると言えるけれども、これは仏性が皮袋に入り込んでいる犬という現実でもあるだろう。知ってことさら犯すという状態(誤っているけれど学んでいる)であるけれども、有仏性だと言えるだろう。

 仏教、仏法を学ぶときに誤るということはあるだろう。しかしそれでも仏教を学ぼうとしているならば、真の仏教に到達する可能性はある。坐禅していれば必ず真の仏教、仏法に到達できる。誤ったことをしたらそれで終わりということは無い。「知而故犯なりとも有仏性なるべし」だ。我々は仏性そのものなのだ。諦める必要はない。そういうことだと理解している。

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