第289話 仏性その九十八 異類中行

 前回、異類中行という言葉が出てきた。

 「仏が衆生を救うために迷いの世界の俗世に身を投じること」だそうだが、こう言われても私にはなんのことやらわからない。

 私は組織の中で孤立したことがある。私の信ずる所は周囲には理解されず、攻撃されたり無視されたりした。

 その時、この「異類中行」という言葉に遭遇した。自分の境遇のように感じた。誰も味方ではない。しかし私は自分が間違っているとは思えなかった。苦しかったけれど、自分の信ずることを守っていこうと思った。異類中行とはこういうことではないかと思った。

 苦しくても、今は苦しい時期なのだ、それを受け入れて生きていくしかない。一人で生きていくしかない。異類中行なのだと思っていた。

 人間は自分の人生を自分で生きていくしかない。その意味では常に異類中行なのかもしれない。

 ただし、異類中行だけでは生きていけないのも現実だ。周囲と協調していくべき時も当然にある。

 仏教は異類中行だけを主張するような単純なものではない。このことは強調しておきたい。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る