第288話 仏性その九十七 虎の頭をひねる

 「大潙のどうは、そのかみ黄檗は南泉を搆不得こうふてなりやといふ。

  仰山いはく、「黄檗は陥虎かんこの機あり」。

 すでに陥虎することあらば、埒虎頭らっこちょうなるべし。

 陥虎埒虎かんこらっこ異類中行いるいちゅうぎょう明見仏性也みょうけんぶっしょうや開一隻眼かいいっしゃくげん仏性明見也ぶっしょうみょうけんや失一隻眼しついっしゃくげん速道しゅくとう、速道。仏性見処、得恁麼長ていんもちょう。」

 大潙(潙山霊祐禅師)が言ったことは、「その時黄檗は南泉をとらえることができなかったのではないか」と言ったのである。

 仰山が言ったことは「黄檗は虎を陥れる力がある」。

 すでに陥れることがあるのならば、虎の頭をひねるということであろう。

 虎を陥れ虎の頭を捻る、どんどんと進んで入って行く。仏性をはっきりと見て、一つの眼を開く。仏性がはっきりと現れて、一つの眼を失う。速く言え、速く言え。仏性が現れるところはこのように優れているのだ。

 ここは坐禅の境地として私は受け止めている。坐禅して真実・真理と一体となった身心は、虎を陥れ虎の頭を捻ることができるような自由自在な状態だ。どのような状況の中にでも一人入って進んでいける。

 明見仏性は仏性をはっきりと見ると私は読んでいる。はっきりと見るという意味では眼が開いている。

 仏性妙見は仏性がはっきりと現れていると私は読んでいる。仏性が現れている、真実・真理が現れている(ここの見るは現れると解している)のならば、見るとか見ないとか関係ない。見えるというようなことを問題にする必要はない。それを失一隻眼と表現されたと思っている。

 仏性明見、仏性がはっきり現れるというのは、坐禅している状態のことだ。その状態は非常に優れた状態、人間としてあるべき状態なのだ。得恁麼長である。

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