第287話 仏性その九十六 恁麼

 「この因縁をして、潙山いさん仰山きょうざんにとうていはく、「莫是黄檗搆他南泉不得麼もべんしおうばくこうたなんせんふてま(是れ黄檗他の南泉をこうずること得ざるにあらずや)」

 仰山いはく、「不然。須知、黄檗有陥虎之機(しからず。すべからく知るべし、黄檗陥虎かんこ之機有ることを)。

 潙山云いはく、「子見処、得恁麼長ていんもちょうなんじが見処、恁麼に長ずることを得たり)」。

 この話(南泉禅師と黄蘗禅師の問答)を取りあげて潙山霊祐禅師が仰山慧寂禅師に質問して言った、「この話は黄檗が南泉をとらえることができなかったのではないか」。

 仰山禅師は言った、「そうではない。黄檗には虎を陥れる力があることを知らなければいけない」。

 潙山禅師は言った、「お前さんの見るところはこのようにすぐれている」。

 この後に道元禅師の解説が続く。

 黄檗禅師は問答の中で「不敢」としか答えなかったり、問答をやめてしまったりしている。これは南泉禅師をとらえることができなかったのではないか、というのが潙山禅師の問いだ。それに対し仰山禅師は黄檗禅師には虎を陥れるだけの力量があると答え、潙山禅師はその答えを褒めた、ということだろう。

 詳しくはこの後の道元禅師の解説にお任せすることにする。

 ここで恁麼いんもと言う言葉について私の思うところを書いてみる。

 恁麼とは、このようにとかそのようにという意味だという。真実・真理は言葉では言い表せない。しかし絶対的に存在する。そのありようを敢えて表現しようとするならば「恁麼」としか言いようがない。

 潙山禅師は仰山禅師の答えを聞いて仰山禅師が真実・真理を体得していると判断したので「得恁麼長」と言ったのだ。恁麼としか言いようがないところを理解できていて優れていると言ったのだ。そう思っている。

 恁麼という言葉は私には非常に奥深い言葉に感じられる。

 

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