第286話 仏性その九十五 休裏有道

 「「黄檗便休」。これは休するなり。不肯ふけんせられて休し、不肯にて休するにあらず。本色衲子ほんしきのっししかあらず。しるべし、休裏有道きゅうりゆうどうは、笑裏有刀しょうりゆうとうのごとくなり。これ仏性明見の粥足飯足しゅくそくはんそくなり。」

 「黄檗便休」。これは南泉禅師との問答をおしまいにしたということだ。南泉禅師が納得しなかったからおしまいにしたのではなく、黄檗禅師が納得できなかったからおしまいにしたのではない。本当の仏教修行者はそういうものではない。知らなければいけない、おしまいにしたことの裏にはちゃんと言葉があり、それは笑いの裏に相手を切りつける刀があるようなものなのである。これは、仏性がはっきりと現れて朝の食事である粥や昼の食事によって満ち足りている状態なのである。

 休するとはやめる、おしまいにするということ。南泉禅師と黄檗禅師の問答を黄檗禅師はおしまいにした。これは、お互いが十分に納得したからだ。おしまいにした静かさの中に、真実・真理がある。真実・真理を語る言葉がある。その状態は食事をして満足しているようなものだ。

 今の世の中、言葉だくさんの世の中だ。誰かしらが言葉を吐き散らかしている。しかし、そんなにたくさんの言葉が必要なのだろうか。

 坐禅して真実・真理と一体となり黙って行動する。それができればわざわざ言葉で言い表す必要などないのではないか。「休裏有道」である。

 今の世の中、真実・真理を見失って、言葉だけが存在している。これではどうにもならない。坐禅しましょう。

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