第291話 仏性その百 犬に仏性はあるか

 「趙州じょうしゅう真際大師にある僧とふ、「狗子還有仏性也無くしわんぶっしょうやむ(狗子にまた仏性有りやいなや」。この問の意趣あきらむべし。狗子くしとはいぬなり。かれに仏性あるべしと問取せず、なかるべしと問取するにあらず。これは鉄漢また学道するかと問取するなり。あやまりて毒手にあふ、うらみふかしといへども、三十年よりこのかた、さらに半箇の聖人しょうにんをみる風流なり」。

 趙州従諗じょうしゅうじゅうしん禅師にある僧が質問した。「狗子に仏性は有るのかまたは無いのか」。この質問の意味をはっきりさせなければいけない。狗子とは犬のことである。犬に仏性は有るにちがいない質問したのではない、無いにちがいないと質問したのでもない。これは鉄漢(修行をした人)でもさらに仏道を学ぶのかと質問したのである。うっかりして趙州従諗禅師という真実・真理を体得した人に質問してしまったので、ばっさりと答えを返されてしまうのは、くやしいことではあるけれども、三十年よりこの方、あらためてちょっとした聖人に会った趣がある。

 この質問に対して、趙州従諗禅師はただ一言「無」と返されている。一言でばっさりと返されたことを「毒手にあふ」と表現されたのではないかと思っている。

 犬に仏性が有るかどうかというのは、問答として有名なものであるようだ。

 この後、仏性の有無を通じて仏教とは何か、仏道とは何かを追及していくことになる。







趙州従諗

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