第279話 仏性その八十八 不依倚一物

 「黄蘗いはく、「十二時中不依倚一物ふえいいちもつ」という宗旨そうしは、十二時中たとひ十二時中に処在せりとも、不依倚なり。不依倚一物、これ十二時中なるがゆゑに仏性明見なり」。

 黄蘗禅師が言った「十二時中不依倚一物」の重要な意味は十二時中(一日中)というのが今の我々の十二時中の中であっても不依倚、何ものにも依存せずにいるということである。不依倚一物、これは十二時中の真実・真理であるから仏性明見、仏性がはっきりと存在しているのである。

 自分の人生は自分で生きるしかない。生きる基準は自分の内側になければいけない。外側に依存すると、周りが変化する度におろおろうろうろすることになる。

 坐禅した身心で真実・真理と一体となって真実・真理に従って瞬間瞬間を生きていく。この現実の世界を生きていく。

 そこに仏性がある。というよりは、その状態が仏性なのだ。

 「十二時中たとひ十二時中に処在せりとも」というのは、十二時中を抽象的、観念的な十二時、二十四時間としてとらえるのではなく、我々自分自身の今のこの十二時であり、それは目の前の現実としてそこに自分が生きているととらえるということだと思っている。自分自身のことを卑下することはない。自分自身の十二時中として受け止めればいいのだ。そして不依倚一物の人生を生きるのだ。

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