第264話 仏性その七十三 悪魔の紙

 「さらに模索ぼさくすべし、一切衆生なにとしてか仏性ならん、仏性あらん。もし仏性あるは、これ魔儻まとうなるべし。魔子まし一枚を将来して、一切衆生にかさねんとす。」

 さらに手探りしてみるがいい。一切衆生はどうとして仏性なのだろうか、仏性があるのだろうか。もし仏性があるならば、これは悪魔の一味であろう。悪魔の紙を一枚持ってきて一切衆生に重ねようとするものである。

 ここで説かれていることは、一切衆生と仏性を別々にしてはいけないということだろうと思っている。一切衆生と仏性を別々に分けてはいけない。

 衆生に仏性があると言うと、衆生と仏性が別々にあることになるから間違い。悪魔の紙を一枚衆生に被せるようなものだと道元禅師は厳しくおっしゃっている。それほど衆生と仏性を分けることを戒めておられるのだと思う。

 一切衆生、我々は本来仏性そのものなのだ。ただ欲望やら見栄やらで見失っているだけだ。

 だから坐禅して本来の姿に戻らなければならないのだ。

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