第263話 仏性その七十二 自家屋裏の経典

 「いま大潙道の理致りちは、「一切衆生無仏性」を理致とせり。いまだ曠然縄墨外こうぜんじょうぼくげといはず。自家屋裏じけおくり経典きょうでん、かくのごとくの受持じゅじあり。」

 大潙(潙山霊祐禅師)の言葉が意味することを突き詰めると「一切衆生無仏性」となる。縄墨(すみなわ)で囲った基準の外側に理致があるということではない。自宅の中にある経典として受け取り保持しているということである。

 一切衆生無仏性というのは自分の外にあるのではない。自分自身の外側の広大な世界のどこかにあるのではない。自分自身の中にある、というより自分自身、自分そのものなのだ。外側をうろうろしてはいけない。

 一切衆生=仏性、抽象的観念的な考えを振り捨てたところにそれはある。一切衆生=仏性なのであるから、一切衆生無仏性と自分は一体なのだ。

 言葉にすると難しいが、これは坐禅の境地だ。坐禅すると正法眼蔵の言葉が身体全体、身心全体で感得できる。

 坐禅してみてください。

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