第265話 仏性その七十四 張公喫酒李公酔
「仏性これ仏性なれば、衆生これ衆生なり。衆生もとより仏性を具足せるにあらず。たとひ具せんともとむとも、仏性はじめてきたるべきにあらざる
観念的に言葉で仏性と言うならば仏性なのであり、観念的に言葉で衆生と言うならば衆生である。衆生は元来仏性を持っているというものではない。たとえ持とうと求めたとしても、仏性が求められたら初めてやって来るわけではないというは重要なことである。張さんが酒を飲んだら李さんが酔っぱらうというようなとんちんかんなことを言ってはいけない。
観念的に言葉で言えば、衆生は衆生としてあり、仏性は仏性としてある。
しかし現実には衆生=仏性であり衆生と仏性は分けられるものではない。だから衆生が仏性を自分の外側に求めてうろうろおろおろするのは無駄なことだ。
それはとんちんかんなことで、張さんが酒を飲んだら李さんが酔っぱらうみたいなものになってしまう。
我々は本来の姿を見失い、自分の外側にありもしないものを探し求めて、うろうろおろおろしている。
観念に囚われ現実を事実を見失う。我々は言葉で生きているのてはない。現実の世界で身心を駆使して行動しているのだ。観念的な訳のわからないものを追いかけてはいけない。
坐禅して本来の姿に戻らなければならない。坐禅してありのままの現実世界をしっかり受け止めなければいけない。坐禅しましょう。
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