第261話 仏性その七十 無仏性とは何か

 「いま大潙はしかあらず、一条拄杖呑両人いちじょうしゅじょうりょうたんりょうにんなるべし」。

 いま、大潙(潙山霊祐)禅師はそうではない。一本の杖が二人を呑み込んでいる、ということである。

 潙山霊祐禅師は一切衆生無仏性と言った。

 一本の杖が二人を呑み込んでいるとは、一切衆生と仏性が一つになって呑み込まれているということだろう。

 つまり、衆生と仏性が一つになっている。前回も書いたように、衆生と仏性は別々にあるのではない。

 衆生に仏性が有るというように、衆生と仏性を分けて別々にしてはいけない。

 ここで無仏性とは、仏性が無いと解するより、有るとか無いという観念を超越した「無」と読むのがよいのではないかと思う。脳味噌の働きを止めて衆生と仏性が一体的となる、それが「無」ではないだろうか。

 無仏性とは、仏性そのものと理解してもいいのではないかと思う。

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