第258話 仏性その六十七 有と無

 「大潙山大円だいいさんだいえん禅師、あるときしゅにしめしていはく、「一切衆生無仏性」。これをきく人天にんでんのなかに、よろこぶ大機だいきあり、驚疑きょうぎのたぐひなきにあらず」。

 大潙山大円禅師(潙山霊祐いさんれいゆう)があるとき人々に示して言ったことには「一切衆生無仏性」。これを聞いた人間や天人の世界の人々の中には喜ぶ優れた仏道を学んでいる者もいれば、驚き疑う者たちもいない訳ではなかった。   

 この前の塩官斉安禅師は一切衆生有仏性と説いた。

 ここで潙山霊祐禅師は全く逆のこと一切衆生無仏性と説いている。

 有と無全く逆だ。そりゃ驚き疑う人もいるだろう。

 この後、道元禅師は潙山霊祐禅師の言葉を解説される。

 ここでは私なりの感想を書くことにする。

 世の中というのは単純ではない。様々な立場の様々な意見、主義主張がある。複雑怪奇と言っていい。

 単純な一つの意見で世の中全体が一致することはあり得ない。

 一つの立場に立ってロジックを組み立てることはできる。とても美しいロジックができる。しかし、別の立場から見るととんでもない許しがたい暴論になる。戦争というのはこうして起こる。戦争は正義対正義の戦いだ。論争しても立場の違いは相容れないから力で解決する。人類はそうやって来た。今もしているし今後もそうだろう。結局は力でしか解決できない。

 仏教は救いになると思うが、仏教を受け入れようとする人間は少数だろう。

 横道に逸れた。

 真実・真理は言葉では表せない。しかし表さねばならない。そこで色々な方々が苦心惨憺されてきた。

 真実・真理は人間の言葉では有とも言えるし、無とも言えるのかもしれない。

 次回から道元禅師の解説となる。

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