第257話 仏性その六十六 大宇宙の真実・真理と一体となる

 「又、自己に具する道理、いまだかならずしもみづから会得ういてせざれども、四大五陰しだいごおん四大五蘊しだいごうんに同じ)もあり、皮肉骨髓もあり。しかあるがごとく、道取も、一生に道取することもあり、道取にかかれる生生もあり。」

 また、本来真実・真理は自己に備わっているのだが、いまだに必ずしも自分では理解できていないとしても、我々の身心は大宇宙の構成要素である四大五陰であり、皮肉骨髓が備わっているのだから不安に思わなくてよい。そのようなことであるから、真実・真理を言葉で言うことが一生の間に言うことができることもあり、言うことに関わる生きている瞬間瞬間もあるのである。

 坐禅して本来の面目に戻る、取り戻す。人間は本来、真実・真理なのだ。大宇宙の一部なのだ。それを見失ってしまっているだけだ。何故見失うか?欲望やら見栄やらに取り憑かれてしまうからだ。それらを放り捨て、身心脱落して大宇宙の真実・真理と一体となる。それが坐禅なのだ。坐禅に全て任せればいい。

 坐禅している時は真実・真理と一体となっているから「一生に道取することもあり、道取にかかれる生生もあり」なのだ。坐禅に任せるのだ。

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