第255話 仏性その六十四 A=B B=A

 「しかあれば、一切仏性有衆生なり。これその道理は、衆生を説透せっちょうするのみにあらず、仏性をも説透するなり。」

 そうであるならば(有仏性の有は脱落してよいならば)、一切仏性有衆生ということである。これのその道理は、衆生とはどういうものかを説きつくすだけではなく、仏性をも説つくすのである。

 衆生=仏性であるから、衆生と仏性の位置を入れ換えても同じことだ。

 道元禅師はこの仏性と衆生のように語句を入れ換えて解説されることがよくある。

 ここでは入れ換えても同じことだということを強調されているのだと思っている。

 説透を説つくすと訳してみたけれど、この感覚は坐禅すると実感できる。絶対的な感覚というか、身体全体で納得するという感覚になる。正法眼蔵は坐禅しないと理解できないのだと強く思う。

 

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