第254話 仏性その六十三 有を脱落する

 「「一切衆生即仏性」といはず、「一切衆生、有仏性」といふと参学すべし。有仏性の有、まさに脱落とつらくすべし。脱落は一条鉄なり、一条鉄は鳥道なり。」

 「一切衆生即仏性」一切の衆生は即ちそのまま仏性であるとは言わず、「一切衆生」、「有仏性」と言うのだと学ばねばいけない。有仏性の有は脱落してしまってよいだろう。脱落しても仏性は仏性であって一本の鉄のようなものであり、一本の鉄のようであるけれど鳥が飛んでいった跡が残らないようなありのままの状態なのだ。

 「一切衆生即仏性」一切の衆生は即ちそのまま仏性である、というのは頭の中の観念論だ。そんなもって回ったことを言う必要はない。一切衆生、有仏性、一切衆生=有仏性でいいのだ。そのまま、ありのままに受け止めればいいのだ。

 そうしてみると有るとか無いとかいうのも頭の中の観念論だ。だから「有」はなくてよろしい。

 ただただ、一切衆生=仏性という真実・真理があるだけである。真実・真理は一本の鉄のようにきっちり厳然として存在すると同時にその存在は鳥が飛んでいった後に何の跡形も残さないように、自然のまま、ありのままに存在しているのだ。

 この感覚は坐禅しないとわからない。観念論を捨て、坐禅しましょう。

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