第252話 仏性その六十一 すべて仏性である
「もしかくのごとくにあらずは、仏道に道取する有仏性にあらざるなり。いま国師の道取する宗旨は、一切衆生有仏性のみなり。さらに衆生にあらざらんは、有仏性にあらざるべし。」
もしこのようではないのならば(心=衆生=有仏性ではないのならば)、仏道で言う有仏性ではないのである。今、斉安国師の言っていることの重要なことは一切衆生、有仏性ということだけである。まったく衆生ではないものは有仏性ではないに違いない。
一切衆生に仏性有りとは読まない。一切衆生、有仏性と読む。一切衆生=有仏性なのだ。さらに細かく言うなら、有=仏性としてもいいだろうと思う。
もう一歩進んで有るとか無いとか言う必要もないのかもしれない。実際この後、道元禅師は有について言及される。
一切衆生、一切の実在は仏性そのものなのだ。
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