第250話 仏性その五十九 心=衆生

 「杭州塩官県斉安国師こうしゅうえんがんせいあんこくしは、馬祖下ばそかの尊宿なり。ちなみに衆にしめしていはく、「一切衆生有仏性いっさいしゅじょううぶっしょう」。

 いはゆる「一切衆生」の言、すみやかに参究すべし。一切衆生、その業道依正ごうどうえしょうひとつにあらず、その見まちまちなり。凡夫外道ぼんぷげどう、三乗五乗等、おのおのなるべし。いま仏道にいふ一切衆生は、有心者うしんしゃみな衆生なり、心是衆生しんぜしゅじょうなるがゆゑに。」

 杭州塩官県の塩官西安禅師は馬祖道一禅師の弟子で優れた方である。ある時人々に示しておっしゃった。「一切衆生有仏性」と。

 ここで「一切衆生」の言葉をすぐに考えなければいけない。一切衆生の生き方や環境は一つではなく、その見方はまちまちである。まだ仏道に入っていない人、仏道以外を信じる人、三乗五乗など、いろいろである。今、仏道で言う一切衆生とは心を持つものはみな衆生である。心=衆生であるからである。

 ここから衆生、心、仏性の問題に入って行く。まずは衆生と心。

 一切衆生とは何か。いろいろと言えるけれど、仏道では一切衆生とは、心のある者はみな衆生であり、心=衆生である。

  心は心理作用といってもいいのかな。生きていれば時々刻々心は動いている。生きている我々とその心は切り離すことはできない。だから心=衆生なのだ。

 まずここで一切衆生と心の関係、心が有るということについて解説がされている。

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