第248話 仏性その五十七 妄想から覚めよ

 「おほよそ仏性は、いまの慮知念覚りょちねんがくならんと見解けんげすることさめざるによりて、有仏性うぶっしょうの道にも、無仏性むぶっしょうの道にも、通達のたんを失せるがごとくなり。道取すべきと学習するもまれなり。しるべし、この疎怠そたいはいせるによりてなり。諸方の粥飯頭しゅくはんとう、すべて仏性といふ道得どうてを、一生いはずしてやみぬるもあるなり。」

 仏性というものは今感じている感覚や頭の中の考えであると理解してしまうことをやめないから、有仏性という言葉も無仏性という言葉も、それらを理解する端緒を失ってしまうのだ。言おうと学ぶ者も稀である。知らなければいけない。このように怠けてしまうのは仏道が廃れているからである。方々の寺の食事の世話をする僧たちが、皆、仏性と言う言葉を一生言わずに終わってしまう者もあるのである。

 今の人間は頭でっかちだ。脳味噌の働きを過大に評価しすぎだ。

 頭で考えることが重要なのは当たり前だ。しかし、それは身心が正常な状態において頭脳が働いてこそだ。

 自分が感じる感覚、頭の中の妄想に憑りつかれてしまっている人間ばかりだ。

 憑りつかれている身心でさらに何かを考えればどんどんおかしな方に行ってしまう。

 だから坐禅して身心を真実・真理と一体としなければいけない。妄想を振り捨てなければいけない。

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