第245話 仏性その五十四 笑裏無刀

 「予、雲遊のそのかみ、大宋国にいたる、嘉定十六年癸未きび秋のころ、はじめて阿育王山広利禅寺あいくおうざんこうりぜんじにいたる。西廊の壁間へきかんに、西天東地さいてんとうち三十三祖の変相を画せるをみる。このとき領覽りんらんなし。のちに宝慶ほうきょう元年乙酉夏安居いつゆうげあんごのなかに、かさねていたるに、西蜀せいしょく成桂知客じょうけいしかと、廊下を行歩ぎょうぶするついでに、予、知客にとふ。這箇是什麼変相しゃこししもへんそう這箇しゃこは是れ什麼なにの変相ぞ)。

 知客いはく、龍樹身現円月相(龍樹の身現円月相なり)。かく道取する顔色に鼻孔びくうなし、声裏しょうりに語句なし。

 予いはく、真箇是しんこし一枚画餅相似わひんしょうす(真箇に是れ一枚の画餅に相似せり)。

 ときに知客、大笑すといへども、笑裏無刀しょうりむとう破画餅不得はわひんふて(笑裏に刀無く、画餅を破すること不得)なり。」

 自分(道元禅師)が真の法を求めて旅をしていた時、偉大な宋の国に至った。1223年の秋の頃、初めて阿育王山広利禅寺に行った。西の廊下の壁にインドと中国の摩訶迦葉から大鑑慧能までの三十三人の色々な姿が描いてあるのを見た。この時はそれがどういうものかわからなかった。その後1225年の夏に、再び訪れたときに、西蜀出身の成桂という外来者の応対をする係(知客)の僧と廊下を歩いていた。その時自分は知客に尋ねた。この三十三の色々な姿はどういうものなのか。

 知客は言った、龍樹尊者の身現円月相だと。このように言うけれど本当のことは分かっておらず、声は出しているけれど意味は分かっていなかった。

 自分は言った。まさにこれは絵に描いた餅ですねと。

 その時知客は大笑いしたけれど、その笑いの中に真実を切り出す刀は無く、絵に描いた餅を打ち破る力はなかった。

 宋の国においても身現円月相が坐禅であることを理解している僧は少なかったということなのだろう。

 道元禅師はは手厳しい。

 坐禅して真実・真理と一体となる、身心を大宇宙そのものとすることが全てだ。脳味噌の中の妄想を捨てよう。利得、地位などの欲望を手放そう。絵に描いた餅を前にわかったような気分でいるのはやめよう。

 今の世の中、小さな脳味噌の中の考えが凄いものだと勘違いして、妄想に憑りつかれてしまっている人間で溢れている。絵に描いた餅に囚われ七転八倒している。

 坐禅して正気に戻りましょう。

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