第244話 仏性その五十三 正常な心身

 「これを急著眼看きゅうじゃげんかんせん、たれか直至如今飽不飢じきしにょこんほうふきならん。月は円形えんぎょうなり、円は身現なり。円を学するに一枚銭のごとく学することなかれ、一枚餅まいひん相似しょうすすることなかれ。身相円月身なり、形如満月形なり。一枚銭、一枚餅は、円に学習すべし。」

 (坐禅して身心が欠けたところのない円月相となる)このことに目をしっかりつければ、誰もが真実・真理に直接至って飽きたり飢えたりすることはない(満たされた状態)となる。月は円である。円は坐禅した身体を現わすことである。円とは何かを学ぼうという場合に穴あき銭のようなものと学んではいけない。坐禅した身は円い月の身であり、その形は満月のような完全なものである。一枚の銭とか、一枚の餅については、この坐禅した身心の円として学ばなければいけない。

 我々はこの現実世界に生きている。今この瞬間を生きている。この身心で生きている。

 だからこの身心を正常な状態にしておかなければならない。本来の状態にしておかなければならない。そのために坐禅するのだ。

 龍樹尊者が身現円月相となったというのは、神秘でも何でもない。坐禅していたというだけのことである。坐禅がすべてなのだ。坐禅なしには何も始まらない。道元禅師は何回も何回もそれを繰り返し説かれている。

 時々郵便受けに「健康になる」「楽になれる」「楽しく過ごせる」とかいう怪しげなチラシが入っている。金を巻き上げようというんだろう。

 そんなものに頼る必要はまったくない。坐禅すればいいだけなのだ。坐禅してみればわかる。

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