第241話 仏性その四十九 画餅を賞翫してはいけない

 「かなしむべし、大宋一国の在家出家、いづれの一箇も、龍樹のことばをきかずしらず、提婆の道を通ぜずみざること。いはんや身現に親切ならんや。円月にくらし、満月を虧闕せり。これ稽古のおろそかなるなり、慕古いたらざるなり。古仏新仏、さらに真箇の身現にあうて、画餅を賞翫することなかれ。」

 悲しむべきことである。偉大な宋の国の在家、出家、ともに一人も龍樹尊者の言葉を聞かず知らず、迦那提婆尊者の言うことに通じていない。ましてや坐禅した身体を現すことに親しくなっていることがあろうか。円月とはなにかがわからず、満月が欠けてしまっているようなものである。これは過去の仏といわれる方々のことを考えることが疎かであり、過去のことを切に思うことが十分ではないからである。古仏も新仏もさらに坐禅して真の身体を現すことを行い、絵に描いた餅を賞翫することをしてはいけない。

 仏教というと色々な宗派があり、また怪しげな輩もうようよしている。それぞれが色んなことを言う。絵に描いた餅を、ものすごい価値のあるもののように扱ったり、神秘的な力があるかのように見せたりする。

 すべて間違いだ。

 坐禅する。ただこれだけでいいのだ。これで完璧なのだ。身現円月相なのだ。画餅を賞翫してはいけない。

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