第238話 仏性その八十二 功徳

 「すでに諸仏体といふ、蘊処界うんじょかいのかくのごとくなるなり。一切いっさい功徳くどく、この功徳なり。仏功徳はこの身現を究尽きゅうじんし、嚢括のうかつするなり。一切無量無辺の功徳の往来は、この身現の一造次なり。」

 仏と言われる方々の身体というものは、大宇宙のすべての存在(四大五蘊)と同じである。一切の優れた仏としての性質は、この大宇宙のすべての存在の持つ優れた性質なのである。仏の優れた性質はこの世界に身体を現すということを究め尽くし、この世界のすべてを包み込んでいるのである。一切の無量で際限のない優れた性質が現れたり消えたりするのは、この身体の瞬間的なあり様のことなのである。

 まず、功徳という言葉について。功徳というと「現在、また未来に幸福をもたらすよい行ない」とか「善行をつんだ報い。ごりやく」のように使うことが多いと思うけれど、ここではうまく当てはまらないように思う。功徳と訳されるサンスクリット語のグナには優れた性質という意味があるという。ここでは性質と解釈した方がうまく読めると思っている。

 真実・真理と一体となった仏の身体は、大宇宙そのものとなる。坐禅することで、この身体で真実・真理を究め、すべてが含まれる状態になる。我々が瞬間瞬間を生きることが、大宇宙の無量無辺の真実・真理を実現していくことなのだ。

 重要なのは抽象的な観念論ではない。頭の中の考えではない。この身心で今この瞬間を生きることだ。この現実の中で真実・真理と一体となって生きることだ。「一切無量無辺の功徳の往来は、この身現の一造次なり」なのだ。

 そのために坐禅心ければいけないのだ。

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