第234話 仏性その七十八 読む座禅!!

 ちょっと脇道に逸れます。

 先日本屋にふらりと入った。「読む座禅」という本が平積みになっていた。仰天した。

 読む座禅!何を言ってるんだ?

 私は坐禅という文字を使う。道元禅師が使われているからだ。

 まあ、それはそれとして。

 坐禅は行動である。脚を組み手を組み腰骨を立ててじっと坐り続けるという行動だ。体育、スポーツと同じだ。読むということとはまったく別物だ。

 坐禅の姿勢を取り続けるという行動により身心がバランスし、大宇宙の真実・真理と一体となるのだ。その身心で経典などを読むことによって初めてその意味がわかる。

 坐禅せずに本を読んでも知識は増えるかもしれないが、真実・真理に到達することはない。

 「読む座禅」というのは、読むと坐禅と同じ効果が得られるということなのかもしれないが、まったくとんでもないとんちんかん、見当違い、誤りである。人を誤った方向に導くものだ。道元禅師のいう邪師である。

 文字を読んだって坐禅と同じ状態になど絶対にならない。坐禅という行動を取る以外に方法がある訳がない。

 平積みになっているということは売れてるんだろう。ひどいもんだ。今の世の中、いかに仏教が衰え、坐禅が衰えているかを示すものだ。

 知識が増えることと正しいことができることはイコールではない。

 身心がバランスし正しい状態でなければ知識を正しく活かせない。知識を集めて爆弾作って総理大臣に向かって投げちゃったりする。

 仏教に関する知識が増えても坐禅しなければとんでもないことをしでかす。オウム真理教なんてその典型だ。

 もう一度書く。坐禅は行動だ。坐禅という行動をしない限り真実・真理に到達することはない。本だけをいくら読んでも意味はないのだ。


 

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