第231話 仏性その七十五 迦那提婆尊者

 「尊者の嫡嗣迦那提婆尊者ちゃくしかなだいばそんじゃ、あきらかに満月相まんがっそうを「識此しきし」し、円月相えんがっそうを識此し、身現を識此し、諸仏性を識此し、諸仏体を識此せり。入室瀉缾にっしつしゃびょうしゅたとひおほしといへども、提婆と斉肩ならざるべし。提婆は半座の尊なり、衆会しゅえの導師なり、全座の分座なり。正法眼蔵無上大法しょうぼうげんぞうむじょうたいほう正伝しょうでんせること、霊山りょうぜん摩訶迦葉尊者まかかしょうそんじゃ座元ざげんなりしがごとし。」

 龍樹尊者の教えを継いだ迦那提婆尊者は、はっきり満月相とは何かを知り、円月相とは何かを知り、身現とは何かを知り、諸仏性とは何かを知り、諸仏体とは何かを知っていた。師の部屋に入って器から器に水を移すように教えを継いだ者は多かったとしても、迦那提婆尊者に肩を並べることはできなかったろう。迦那提婆尊者は龍樹尊者から坐の半分を譲られる方であり、人々を導く人であり、全ての座を譲られる方である。釈尊の偉大な教えを伝えることは、釈尊が霊鷲山りょうじゅせんで仏法を伝えた時摩訶迦葉尊者が第一番であったのと同じである。

 ここから迦那提婆尊者についての解説となる。ここは上に書いたような意味だ。

 仏教、仏法というものは、文字を読んだだけではわからないものだろうと思う。本来、きちんとした師について学ぶべきものだろうと思う。

 ただ私は人間が嫌いで、今の世の中の僧侶を信じる気になれないという偏屈者のために坐禅して正法眼蔵を読んでいる。ほんとはこれじゃ駄目なんだろう。けれど仕方ない。自分なりに生きていくしかない。

 人間は嫌いだが、人間に期待したい気持ちはある。がっかりすることばかりが目に付くけれど。

 この駄文を書き続けることで少しは何とかなるんじゃないか。そんなことを期待している。

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