第228話 仏性その七十二 「なに」としか言いようのない場所

 「円月相といふ、這裏是甚麼処在しゃりししもしょざい説細説麤月せっさいせっそげつ這裏しゃり是れ甚麼なに処在しょざいぞ、さいと説き、と説く月)なり。この身現しんげんは、先須除我慢せんしゅじょがまんなるがゆゑに、龍樹にあらず、諸仏体なり。「以表」するがゆゑに諸仏体を透脱とうとつす。しかあるがゆゑに、仏辺ぶっぺんにかかはれず。」

 円月相というが、ここは「なに」としか言いようのない所であり、月を細いとか粗いとか言っても仕方ないのである。この龍樹尊者の身現は「自分が自分が」という自分を除き、自分に執着する慢心も除いた坐禅の姿であるから、龍樹ではなく、仏の姿なのだ。坐禅した姿を表す「以表」であるから諸仏の姿などという言葉を超越している。そういうことであるから、仏だとかそうではないとかいう辺りのことには関係がない。

 ここも坐禅の境地、坐禅した時の身心の状態を言っていると思う。

 坐禅している時自分が大宇宙の中の存在であることがしみじみ実感できる。その時自分のいる場所は「なに」としか言いようのない場所と感じられる。森羅万象がありのままに感じられる。その時月が細いだのどうのこうのいう意味などない。

 自分という小さな枠組みが解き放たれる。「先須除我慢」だ。真実・真理と一体となっているのだから、誰それという固有のものではなく、仏そのものなのだ。そして坐禅している時は、仏だとかそうではないとかそんな観念的な言葉の世界も超越しているのだ。

 坐禅してみませんか。

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