第226話 仏性その七十 身心を円月相とする

 「しばらく尊者の道著どうじゃする聞取もんしゅすべし、いはゆる「身現円月相しんえんがっそう以表諸仏体いひょうしょぶったい」なり。すでに「諸仏体」を「以表いひょう」しきたれる「身現」なるがゆゑに「円月相」なり。しかあれば、一切の長短方円、この身現に学習すべし。しんげんとに転疎てんそなるは、円月相にくらきのみにあらず、諸仏体にあらざるなり。」

 しばらく龍樹尊者の説く偈(詩の形での説法)を聞け。言うところの「身現円月相しんえんがっそう以表諸仏体いひょうしょぶったい」である。すでに色々な仏の現れ方(諸仏体)を表している(以表)している身心の現れ方であるから何一つかけたところのない姿つまり円月相なのである。そういうことであるからすべての長いとか短いとか四角いとか円いとかいうものも、この円月相という現れ方において学ばなければいけない。今の身はここに現れているのだから、そのことをうかうかして気付かないのは、円月相とは何かがわからないだけでなく、諸仏の身心となっていないのである。

 この箇所は、まさに坐禅の境地、坐禅した身心の状態を解説しておられると考えている。

 坐禅することによって大宇宙の真実・真理と一体となる。真実・真理と一体となっているのだから何一つ欠けていることはない。大宇宙そのものとなっているのだから全てと一つになっている。だから「一切の長短方円、この身現に学習すべし」ということになる。

 坐禅した瞬間この身心は森羅万象と一体となるのだから転疎なんてことにはならない。しかし、坐禅せず頭の中の考えに囚われてしまうと、身心と現実が遊離してしまう。現実をありのままに身心で受け入れることができなくなってしまう。今の世の中、言葉ばかりで現実がないがしろになっているように思えてならない。頭でっかち、脳味噌ばかりの人間がわあわあ騒いでいる。

 そんなことでは大宇宙の真実・真理などわからないし、仏という状態にはなれない。

 坐禅した瞬間円月相が身心に実現し諸仏体となる。坐禅しましょう。

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