第224話 仏性その六十八 我慢

 「「汝欲見仏性にょよくけんぶっしょう先須除我慢せんしゅじょがまん」。この為説いせつ宗旨そうし、すごさず辦肯はんけんすべし。「けん」はなきにあらず、その見これ「除我慢」なり。「」もひとつにあらず、「まん」も多般なり、除法また万差ばんしゃなるべし。しかあれども、これらみな見仏性なり。眼見目覩げんけんもくとにならふべし。」

 「汝欲見仏性にょよくけんぶっしょう先須除我慢せんしゅじょがまん」この龍樹尊者の説法の言葉の重要な意味を見過ごすことなくよくよく受け止めなければいけない。「けん」見るということはないことではない、見るということは、自分が自分がと自分に固執して慢心することを除くということである。「」自分というものは一つではない、「まん」自分が自分がと自分に固執して慢心することも多様なものであり、それを取り除く方法も千差万別である。そうではあれけれども、除我慢の状態となったとき仏性を見ているのである。これは普通に目でものを見るのと同じであると学びなさい。

 自分が自分がと自分に固執して慢心しているかぎり真実・真理と一体となることは絶対にできない。しかし今の世の中こういう人間ばかりだ。「自分が自分が」と途切れることなく主張する奴で溢れている。こんなことでは真実・真理が世の中に行われることはない。絶対にない。悲しいことだ。怖ろしいことだ。

 世界各地で「我慢」自分が自分がと自分に固執して慢心している奴らが騒ぎを起こしといる。

 除我慢が必要だ。人類が存続するためには除我慢が必要だ。そしてそれは坐禅さえすれば可能なのだ。坐禅しましょう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る