第220話 仏性その六十四 龍樹尊者

 「第十四祖龍樹尊者、梵云那伽閼刺樹那。唐云龍樹亦龍勝、亦云龍猛。西天竺国人也。至南天竺国。彼国之人、多信福業。尊者為説妙法。聞者逓相謂曰、「人有福業、世間第一。徒言仏性、誰能覩之」。

第十四祖龍樹りゅうじゅ尊者、ぼん那伽閼刺樹那ながありじゅなと云ふ。唐には龍樹また龍勝と云ふ、また龍猛りゅうみょうと云ふ。西天竺国さいてんじくこくの人なり。南天竺国なんてんじくこくに至る。彼の国の人、多く福業ふくごうを信ず。尊者、為に妙法を説く。聞く者、逓相たがいつて曰く、人の福業有る、世間第一なり。いたずらに仏性を言ふ、誰かく之をたる。)」

 第十四祖龍樹りゅうじゅ尊者はサンスクリットでナーガルジュナという。中国では龍樹また龍勝、あるいは龍猛という。西天竺国の人であり、南天竺国にやってきた。南天竺国の人間の多くは幸福を信じていた。尊者は人々のために説法をした。その説法を聞いた人たちはたがいに言った。「人間は幸福であるのが一番大事だ。なぜそんなに仏性と言うのか。仏性を見た人間がいるのか。」

 ここから龍樹尊者のエピソードになる。この先の道元禅師の解説は痛快だ。

 福業、幸福、しあわせ。言葉としてはわかりやすい。しかし、何が福業なのか?時と場合、あるいは人によって福業は異なってしまう。

 お金がたくさんあればいいのか?健康ならばいいのか?何がどうなればしあわせなのか?

 頭の中で作り上げられた観念に過ぎないのではないか。観念に囚われ妄想に憑りつかれているだけではないのか。

 自分が幸福になりたいという観念に憑りつかれて他人を殺してしまったりする。

 観念に囚われる、憑りつかれる。今の世の中こういう人間が多すぎやしないだろうか。一体どこに行こうとしているのか?

 次回は龍樹尊者の回答となる。

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