第218話 仏性その六十二 固定するから妄想になる

 「常者未転じょうとはみてんなり。未転といふは、たとひ能断と変ずとも、たとひ所断とすれども、かならずしも去来こらい蹤跡しょうせきにかかはれず、ゆゑに常なり。」

 常とは未転ということである。未転というのは、たとえ主体として決断して行動することになっても、たとえ受け身の立場で決断され行動の結果を受ける立場となってもけっして過去や未来の事象に関係ないことである。その故に常、固定したものとなるのである。

 「必ずしも」は「必ず」の強意ということだそうな。

 平たく言えば常とは変化しない、固定したものということだ。

 このような常は、観念的には存在する。頭の中では存在する。しかし現実には存在しない。現実には存在しないから過去とも未来とも関係ない。

 人間は「これが正しい」「私は間違っていない」と固定したがるもんだ。固定することで現実、大宇宙の真実・真理からどんどん遠ざかってしまう。その固定観念は妄想となり、あちこちに迷惑をかける。プーチンとか金正恩とかね。日本の政治家や報道機関も同じようなもんだ。

 真実・真理は存在する。しかしそれは「こういうもんです」というような固定されたもんじゃない。坐禅すればわかる。

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