第217話 仏性その六十一 小量の愚見
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人間はそれぞれの身心ありのままに仏なのだ。本来、仏なのだ。だから坐禅してありのままに生きることが真実・真理を実現・実証することであり、それは見方を変えれば説法しているということになる。
無常=仏性=何ものかとしか言いようのない真実・真理だから固定したものではない。人間は聖人と言われようが凡人と言われようが固定されたものではない。こうだと固定した瞬間にそれは真実・真理ではなくなる。「常凡聖は仏性ならんは、仏性なるべからず」なのだ。
固定した観念は愚見であり、細い管から覗いているような狭い視野に囚われたものなのだ。
しかし今の世の中、「私は正しい」という小量の愚見に囚われ、管から覗き見ているような人間に溢れている。政治家とか報道機関とかその典型だ。
坐禅して小量の愚見、管見を振り捨てましょう。
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