第212話 仏性その五十六 東西南北を振り捨てろ

 「六祖いはく、「人有南北にんうなんぼくなりとも、仏性無南北ぶっしょうむなんぼくなり」。この道取をして、句裏くり功夫くふうすべし。南北の言、まさに赤心に照顧しょうこすべし。六祖道得どうての句に宗旨そうしあり。いはゆる人は作仏すとも、仏性は作仏すべからずといふ一隅の搆得こうてあり。六祖これをしるやいなや。」

 六祖大鑑慧能禅師が言った。「人に南北はあっても仏性に南北はない」。この言葉を取り上げて、この言葉が持っている意味をしっかりと考えなければいけない。南北という言葉をまさに赤ん坊のような純粋な心で照らし顧みるようにしなければいけない。六祖のこの言葉に重要なことが含まれている。よく言われている「人は仏になるけれど、仏性は仏になろうとすることはない」という表現の仕方である。六祖はこの言葉を知っていたかどうか。

 仏性というのは大宇宙の真実・真理だ。それは何ものかとしか言いようのない真実・真理だ。人間は生きていく上で東西南北という方向、名称が必要だけれど、真実・真理にそんなものは必要ない。ただありのままの真実・真理があるのみだ。名称などつけようがない。南北というのは人間が便宜上つけた名称に過ぎない。そんなものを超越したところに真実・真理はある。東西南北を振り捨てよう。

 人間は仏になろうとするけれど、仏性はなるとかならないとか超越して「何ものかとしか言いようのない真実・真理」なのだ。なる、ならないなど超越しているのだ。

 人間、言葉に囚われがちだ。言葉に囚われ迷い妄想しあらぬ方向に彷徨い出る。

 言葉を、観念を振り捨てて真実・真理と一体とならなければいけない。

 それは坐禅した瞬間に実現する。

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