第206話 仏性その五十 お前は無仏性だ

 「震旦第六祖曹谿山大鑑禅師しんだんだいろくそそうけいざんだいかんぜんじ、そのかみ黄梅山に参ぜしはじめ、五祖とふ、「なんぢいづれのところよりかきたれる」。

 六祖いはく、「嶺南人れいなんじんなり」。

 五祖いはく、「きたりてなにごとをかもとむる」。

 六祖いはく、「作仏さぶつをもとむ」。

 五祖いはく、「嶺南人無仏性れいなんじんむぶっしょう、いかにしてか作仏せん。」

 中国の第六祖大鑑慧能禅師がその昔黄梅山の五祖大満弘忍禅師のもとに参じた初めの時五祖が質問した。

 「お前さんはどこから来た」

 六祖は言った「私は嶺南人です(嶺南から来た)」

 五祖は言った「ここに来て何を求めている」

 六祖は言った「作仏を求めています」

 五祖は言った「嶺南人は無仏性、どのようにして作仏を求めるのか」

 文字通りに読むと嶺南人には仏性がない、それなのにどうやって仏となろうとするのかとなるだろう。

 しかし道元禅師はそう読むのではないと解説をされる。

 正法眼蔵がありがたい、貴重なのは道元禅師が仏教、仏道を学ぶ上で必要なものをよりすぐって書いてくださっているところだ。

 もし正法眼蔵がなければ、膨大な経典、公案(問答、エピソード)などを自分で探して読まなければいけない。経典など膨大過ぎてとてもじゃないけれど読み切れない。読み切れないどころか何を読めばいいのか、どのように理解すればいいのか途方に暮れているうちに寿命が尽きるだろう。公案もちんぷんかんぷんのうちに命が費えるだろう。

 道元禅師のおかげで、重要な経典、公案をどのように読み理解したらよいのかがわかる。ありがたいとしか言いようがない。正法眼蔵無くして仏教は理解できない。もちろん坐禅は必須だけれど。

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