第204話 仏性その四十八 空とはありのままの現実のこと

 「いはゆるの空は、色即是空しきそくぜくうの空にあらず。色即是空といふは、色を強為こういしてくうとするにあらず、空をわかちてしき作家そかせるにあらず。空是空くうぜくうの空なるべし。空是空の空といふは、空裏一片石くうりいっぺんせきなり。しかあればすなはち、仏性無と仏性空と仏性有と、四祖五祖、問取道取もんしゅどうしゅ。」

 ここでの空は色即是空の空ではない(般若心経の色即是空)。色即是空というのは物質(しき)を無理矢理に空であるとするのではない、空を分析して物質であるとするのではない。空是空つまり空は空でしかないということで空なのである。では空是空の空とは何かというならばそこにある一かけらの石である。そういうことであるから、仏性無、仏性空、仏性有とは同じことであると四祖と五祖は問いたり言ったりしたのである。

 般若心経はよく知られている。色即是空も耳にすることがある。色即是空について、目の前にあるものは実際には空だというようなことを言う人がいる。机は木でできている、木はさらに木質繊維からできている、木質繊維はさらに…というようにどんどん様々なものに分析していくことができる。机は接着剤や釘が使われている。それらの集合体である。それを人間が「机」だと認識しているだけで本来は存在しない「空」であるなどと書いてある本を読んだことがある。何だか訳がわからん。机は机として存在している。ただそれだけのことだ。こんな風に解釈して一体何がどうなるんだ?さっぱりわからん。

 「空」はそういうものではないと道元禅師はおっしゃっている。

 現実はありのままだ。ありのままは「有る」とか「無い」とかいう観念を超越して絶対的に存在している。それをいじくりまわして色だ、空だと理屈をいくら並べ立てても空理空論、無駄なことだ。ありのままはありのまま。空は空だ。空是空なのだ。じゃあ空はなんだと敢えて言うならばありのままに目の前にある一かけらの石頃という現実の存在なのだ。空はありのままの目の前の現実のことなのだ。

 だから仏性無と仏性空と仏性有と言葉であれこれ言ってみても、これらはみな同じことを言っているのである。仏性はありのままの存在そのものであって、無とか空とか有とかというような言葉レベルを超越しているのだ。

 そのことは坐禅すればこの身心全体で感得できる。身心がありのままの状態、大宇宙と一体となり、真実・真理の状態となれば身心全体で受け止めることができる。

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