第201話 仏性その四十五 有・無を超越せよ

 「七通を逼塞ひっそくすることなかれ、八達を摸サク(サクは手偏に索)することなかれ。無仏性は一時の三昧なりと修習しゅじゅうすることもあり。仏性成仏じょうぶつのとき無仏性なるか、仏性発心のとき無仏性なるかと問取すべし、道取すべし。露柱ろしゅをしても問取せしむべし、露柱にも問取すべし、仏性をしても問取せしむべし。」

 真実・真理は大宇宙に行き渡っている(七通八達)のだから、七通をふさいではいけない、八達を手探りするようなことをしてはいけない。無仏性とは今この瞬間の坐禅している身心の状態であると学ぶこともある。真実・真理が坐禅した身心で実現したとき無仏性なのか、真実・真理を知りたいと思ったとき無仏性なのかと問うべきであるし、言うべきである。地面に一本立っている柱にも問わせるべきであるし、その柱に問うべきであるし、仏性そのものにも問うべきである。

 無仏性とは何か。頭の中で観念的にこねくり回しても意味は無い。坐禅した身心でこの文章を読んで身心で感得すればいいのだ。

 「無仏性」というのが具体的に「こういうものです」として存在するのではない。

 仏性が「有る」とか「無い」とかそんなレベルで脳味噌を使う意味は無い。有るとか無いとかを超越したところに真実・真理はある。それは坐禅すればわかる。

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