第197話 仏性その四十 仏性=是=何

 「「四祖いはく是何姓ぜかしょう」は、なり、しきたれり。これしょうなり。何ならしむるは是のゆゑなり。是ならしむるは何の能なり。姓は是也ぜや何也かやなり。これを蒿湯こうとうにも点ず、茶湯にも点ず、家常かじょう茶飯さはんともするなり。」

 「四祖いはく是何姓ぜかしょう」というのは、何ものかとしか言いようのない真実・真理(何)というのは今この瞬間のありのままの事実(是)であるということであり、今この瞬間のありのままの事実(是)が何ものかとしか言いようのない真実・真理(何)をあらしめるのである。今この瞬間のありのままの事実をあらしめるのは何ものかとしか言いようのない真実・真理のなしえるところのものである。仏性(姓)は今この瞬間のありのままの事実であり、何ものかとしか言いようのない真実・真理である。仏道を学ぶ者はこのことをよもぎ湯や茶をたてることのように日常茶飯のこととしているのである。

 道元禅師の面目躍如というところだ。「是何姓ぜかしょう」は「なんという姓か?」という問いではない。仏性は「今この瞬間のありのままの事実(是)」であり「何ものかとしか言えない真実・真理(何)」だと説いているのだ。

 一切衆生=仏性なのだ。今この瞬間のすべての存在は仏性なのだ。仏性は何ものかとしか言いようがない真実・真理なのだ。

 今の世の中は嫌なこと、愚かしいこと、くだらぬことがたくさん起こっている。坐禅して本来の面目を取り戻してほしいと切に願う。

 しかし一方で真実・真理に従ってごく僅かずつかもしれないが動いているのも事実だと感じている。犯罪者は逮捕されているしね。因果の法則は絶対だ。時間は嫌になるくらいかかるかもしれないけれど、間違ったことをすればその報いは必ず現れる。これは神秘論じゃなくて、科学的な原因と結果だ。

 しかし怖いのは今の人類は核兵器とか間違った瞬間に滅亡してしまうようなものを手にしてしまっていることだ。科学は進歩している。科学の力は凄いものがある。メリットも大きいが間違ったときのリスクはコントロール不能となる可能性が高い。

 それを避けるためには人間が真実・真理に従って行動しなければいけない。是であり何であり仏性そのものにならなきゃいけない。それは坐禅すれば可能となる。坐禅以外に方法は無い。我々は是=今:この瞬間のありのままの事実=何:何ものかとしか言いようがない真実・真理であることが坐禅すればわかる。すべてはここから始めねばならない。

 坐禅しましょう。



 

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