第186話 仏性その二十九 仏教は徹底した楽天主義

 「しかあればすなはち、時節すでにいたれば、これ仏性の現前なり。あるいは其理自彰ごりじしょうなり、おほよそ時節の若至せざる時節いまだあらず、仏性の現前せざる仏性あらざるなり。」

 そういうことであるから今この瞬間は今ここにあるのだから仏性が目の前に現れているのである。別の言い方をすればこの理屈は自ずからあきらかなのであり、およそこの瞬間がやってこない瞬間などありはしないし、仏性は仏性なのであって現前しないなどということはあり得ないのである。

 今この瞬間、ありのままの事実が仏性だ。仏性=一切衆生=悉有なのだから、この瞬間の我々は仏性なのだ。真実・真理なのだ。

 けれどそれを見失ってしまっている。

 軍事力で殺し合いをしている、強盗をしている。これも事実だ。しかし、本来の姿はそういうものではない。本来の面目に立ち還りさえすれば真実・真理に従って生きていけるのだ。

 そういうことだから仏教は徹底した楽天主義だともいえるだろう。しかし本来の姿を信じ、実現しようとする楽天主義は手放しのものではない。大宇宙のありのままの事実を徹底して受け入れるということは、真実・真理の存在を徹底的に信じ、それを実現しようとすることだから、もっとも純粋な「現実主義」なのだ。

 そしてそれは坐禅することによって実現することができるのだ。

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