第181話 仏性その二十四 ただそれだけ

 「「当観」といふは、能観・所観にかゝはれず、正観しょうかん邪観じゃかん等に準ずべきにあらず、これ当観なり。当観なるがゆゑに不自観なり、不他観なり。時節因縁聻にいなり、超越因縁ちょうおつなり。仏性聻にいなり、脱体とったい仏性なり。仏々聻にいなり、性々聻しょうしょうにいなり。」

 (当観時節因縁の)「当観」というのは、観る、観られる(能動、受動)の関係にあるのではなく、正しい観かた、間違った診かたというような尺度で考えるものではない。ただまさに今この瞬間ありのままに観ているのである。そのようなことが当観であるから、自分を観るということではないし、他を観るということでもない。当観はただ今この瞬間の有りようというであり、有りようという観念的なものを超越した事実である。ただ仏性それだけであり、仏性というような観念的な言葉から脱け出したものである。仏は仏だけであり、性は性だけなのだ。

 坐禅した身心でないとここのところはわからないだろう。今この瞬間を生きる。真実・真理を実現・実証する。真実・真理と一体となって行動する。それは今この瞬間のありのままの事実の世界を生きるということなのだ。今この瞬間を一生懸命に生きている時には、観ているとか観られているなどというようなものが入り込む余地はない。観念的な「言葉」など入り込む余地はない。この瞬間瞬間を生きるしかない。超越し脱体する。「ただそれだけ=にい」となるのだ。

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