第177話 仏性その二十 仏は普通の人間です

 「ある一類おもはく、仏性は草木そうもく種子しゅうじのごとし。法雨のうるひしきりにうるほすとき、芽茎生長げきょうしょうちょうし、枝葉花果しようけかもすことあり。果実さらに種子しゅうじをはらめり。かくのごとく見解けんげする、凡夫ぼんぷの情量なり。」

 ある種の人間が思うことは、「仏性は植物の種子のようなもので、ありがたい法の雨がしきりに潤おすとき植物の芽や茎が育ち、枝や葉や花や果実が茂ることがある。果実の中にはさらに種子がおさまっている」このように考え理解するのは、脳味噌で考えることに囚われた人間のものである。

 一切衆生=悉有=仏性なのだから、人間の中に仏になる種である仏性があって修行するとあるいは功徳を積むと種から芽が出て成長し仏になれるなどというのは見当違いも甚だしいとんでもない間違いだ。でもこのように思っている人たちが多いんだろうな。

 繰り返すけど我々は本来仏なのだ。坐禅した瞬間本来の姿つまり仏となる。

 修行すれば仏になれますよなんて言って金を巻き上げようとする輩がたくさんいるから気を付けましょう。坐禅すればいいだけのことなのです。

 仏とは普通の人だ。坐禅して本来の面目を取り戻した人だ。本来の面目=仏。真実・真理を実現・実証する生き方ができる人。これが本来の人間の普通の姿、生き方なのだ。欲望とか地位とか知識とか余計なものがこびりついて本来の姿を見失っている。坐禅してそれらを削ぎ落さなければいけない。

 仏を超人的な神秘的な存在にしてしまう誤った考え方がはびこっている。こういう馬鹿な考え方を排除しなきゃいけない。

 繰り返します。仏は普通の人間です。

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