第175話 仏性その十八 坐禅した瞬間に仏になる

 「もし真箇しんこ動著どうじゃ会取ういしゅすることあらば、真箇の覚知覚了を会取すべきなり。仏之与性ぶつしよしょう達彼達此たっぴたっし(仏と性と、彼に達し、此に達す)なり。仏性かならず悉有しつうなり、悉有は仏性なるがゆゑに。」

 もし真の物質の動き・変化を体得することがあれば、真の覚知覚了も体得できる。

仏は性に達し、性は仏に達するのである。仏性は必ず悉有なのだ。悉有は仏性であるのだから。

 仏と性は二つに分けられるものではない。仏=性で一体である。だから「仏之与性ぶつしよしょう達彼達此たっぴたっし」ということになる。

 仏性=悉有。大宇宙の全存在は仏性なのだ。

 繰り返すけれど、人間に「仏性」という「仏になれる素質」があって修行することによって普通の人間が仏というすごいものになるなどというのは仏教ではない。

 人間は元々本来仏なのだ。しかし、欲望、利益、思想、体面、地位、知識、情報、習慣などによって本来の姿を見失っているだけなのだ。

 今の世の中色んな人間が色んなことを言い散らかしているけれど、その中に真実・真理があるだろうか。真実・真理であるか見分けなきゃいけない。

 そのためには自分自身が本来の姿=仏=真実・真理と一体となっていなければいけない。

 坐禅すればいい。それだけでいい。坐禅した瞬間に仏になるのだから。

 

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