第174話 仏性その十七 大事なことは繰り返さなきゃいけない

 「いま仏道の晩学初心ばんがくしょしん、しかあるべからず。たとひ覚知を学習すとも、覚知は動著どうじゃにあらざるなり。たとひ動著を学習すとも、動著は恁麼いんもにあらざるなり。」

 今仏道を歳を重ねてから学ぶ者、学び始めて日が浅い者はそのようなこと(物質の変化・動きやそれを感じることを覚知だと考えること)ではいけない。例え覚知を学習するとしても、覚知は物質の変化・動きではないのである。動著を学習するとしても動著はそのようなもの(恁麼。物質の変化・動きを覚知だと考えること)ではないのである。

 道元禅師は重要なことは何度も繰り返して説かれる。

 人間は自分で考えることに囚われてしまう。自分の感覚に囚われてしまう。そして囚われていると自覚しない。正しいことだと思い込んでしまう。自分の感覚を脳味噌が解釈したことを真実・真理だと思い込んでしまう。これは根深い。これを取り除くことは難しい。しかしこのように思い込んでいる、囚われている限り仏道、仏教はわからない。真実・真理を実現・実証することは絶対にできない。

 仏道、仏教を学ぶためには、まず自分の感覚、自分の脳味噌を手放しにしてまっさらにしなければいけない。感覚、脳味噌から自分を解放しなきゃいけない。解放したときありのままの自分、本来の自分、本来の面目を取り戻すことができる。その時初めて仏道、仏教を学ぶ身心となれる。

 そのためには坐禅しなければいけない。坐禅は自分を変えるものではない。本来の姿、真実・真理の姿を取り戻すものなのだ。  

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る