第168話 仏性その十一 邪見に溢れている

 「妄縁起もうえんぎにあらず、徧界不曽蔵へんかいふすんぞうのゆゑに。徧界不曽蔵といふは、かならずしも満界是有まんかいぜうといふにあらざるなり。徧界我有へんかいがうは外道の邪見なり。」

 なんだか訳がわからないけれど存在するというのではない。この大宇宙はすべて隠れることなくあきらかに存在しているからである。すべて隠れることなくあきらかに存在しているということは必ずしも見えている世界がすべてであるということではない。この世界は自分に見えているとおりであるというのは仏教の考え方ではない間違った見方である。

 今の世の中、「自分が、自分は」という態度の人間ばかりに見える。「自己主張」というらしい。自己をしっかり持つことは大事だ。しかし、「自己」とは何か。ここがはっきり、しっかりしていないで「自分が、自分は」と言うのは幼稚な目立ちたがり屋にすぎない。

 大宇宙はありのままに存在する。しかし、人間は欲望や見栄や地位などに惑わされ世界をありのままに見ることができない。自分に見えている歪んだ世界を事実だと思い込んでしまう。「満界是有」「徧界我有」となってしまう。

 日本を含め世界で起こっていることを見ると「徧界我有」の人間に溢れている。

 大宇宙をありのままに見るためには坐禅するしかない。坐禅によって自己が大宇宙と一体となって初めて大宇宙がありのままに見えてくる。

 理屈ではない。坐禅という行動によってのみ真実・真理に従って世界が見えるのである。坐禅してみればすぐにわかる。坐禅しましょう。

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