第167話 仏性その十 天上天下唯我独尊

 「尽界はすべて客塵かくじんなし、直下ちょくかさらに第二人あらず、直截根源人未識じきせつこんげんにんみしき忙忙業識幾時休ぼうぼうごっしききじきゅうじきに根源をるも人未だらず、忙忙たる業識ごっしき幾時か休せん)なるがゆゑに。」

 この世界はありのままに存在しており余分なものなどない。我々は自分自身として今この瞬間この場所に存在していてそれ以外に自分というものはない。人間は自己として独立して存在しておりあらゆるものから裁ち切られているのだがそれを意識することはなく、生命の活動は常に休むことなく続いているのである。

 この大宇宙における人間の存在とは何か。このことを知ることが仏教の基盤だと思っている。人間は自己として完結し独立している。そして瞬間瞬間生きている。業増上力だとか縁起だとか言っている暇はない。

 その本来の自己、本来の面目を知る唯一の方法が坐禅だ。

 人間はそれぞれが尊い存在だ。

 「天上天下唯我独尊てんじょうてんげゆいがどくそん」という言葉がある。釈尊が生まれてすぐに発した言葉という話がある。まあこれは御伽噺だ。

 「天上天下唯我独尊」は釈尊のことのみを言うのではない。人間一人一人が「天上天下唯我独尊」なのだ。

 坐禅すればわかる。

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