第164話 仏性その七 言葉ではない

 「悉有のごん、さらに始有しうにあらず、本有ほんぬにあらず、妙有みょうう等にあらず、いはんや縁有えんう妄有もううならんや。しんきょうしょうそう等にかかはれず。」

 悉有という言葉は、今始まるということではない、もとからあるのでもない、不思議な妙なものでもない(始有、本有、妙有というような言葉の問題ではない》し、いわんや、何かの関係で有るのではないし、よくわからんが有るというものではない。主観(心)・客観(境)や内容(性)や姿・現れ方(相)などに関係するものではない。

 悉有は大宇宙の、この世界の存在、ありのままの存在なのだから、小難しい言葉でああだこうだ言う必要はない。言う意味がない。言葉を弄したところで何も得るものはない。

 自分も含めすべての存在が悉有である。悉有=仏性である。これが事実だ。

 この事実は坐禅しない限りわからない。仏教用語や哲学用語をどんなにいじくり回したところで無駄である。単なる言葉遊びに過ぎない。

 今の世の中、言葉遊びが大好きだ。言葉をたくさん使って、言葉を発することが凄いことだと思っているように見える。

 しかし言葉は言葉に過ぎない。

 まず絶対の事実を坐禅によって掴んだうえで言葉を発するならばよいが、ただ闇雲に言葉を吐き散らかしてもただ混乱が生ずるだけだ。

 プーチンは核の先制使用を検討すると言ったそうだ。言葉はいったん発せられるとその方向で思考が進むという力がある。言葉に憑りつかれてしまう。

 坐禅して本来の面目を取り戻さなければいけない。

 でもプーチンが坐禅することはないだろうなあ。やれやれ。

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