第163話 仏性その六 仏教は徹底的な現実論だ

 「しるべし、いま仏性に悉有せらるる有は、有無の有にあらず。悉有は仏語なり、仏舌なり。仏祖眼睛ぶっそがんぜいなり、衲僧鼻孔なっそうびくうなり。」

 わかるだろう、今仏性である悉有についてのは観念的な抽象論として頭の中で考える有るとか無いの「有」ではない。悉有は仏の言葉である、仏の舌で発せられるものである。仏祖が見る世界であり、僧侶の生命そのものなのである。

 悉有=仏性。この現実世界、大宇宙の全存在は真実・真理=仏として現実に絶対的に存在している。

 人間が「有る」とか「無い」とか脳味噌でこねくり回すものではない。観念的なものではない。抽象的なものではない。

 坐禅した身心はそれをはっきりと見ることができるし、一体となって生きていくことができる。

 仏教は観念論ではない。抽象論ではない。徹底的な現実論だと思っている。

 現実を生きていくためには現実論でなければ役に立たない。観念論、抽象論に留まっている限りそれは妄想だ。

 今の世の中妄想をありがたがって、もっともらしい顔して喋るのが流行っている。いい加減に目を覚ましたらどうか。現実を見よ。そしてこの瞬間瞬間を生きろ。

 坐禅すれば真実・真理と一体となって瞬間瞬間を生きることができる。

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