第165話 仏性その八 仏教に神秘性はない

 「しかあればすなはち、衆生悉有の依正えしょう、しかしながら業増上力ごうぞうじょうりきにあらず、妄縁起もうえんぎにあらず、法爾ほうににあらず、神通修証じんづうしゅしょうにあらず。」

 そういうことであるので、衆生=悉有という存在の環境(依)と主体(正)はまったく完全に過去の積重ねによるものではなく、よくわからないが生まれるものでもなく、法によるものでもなく、神通力や修行の結果でもないのである。

 仏教は徹底した現実論だと書いた。ここもまさにそのとおりだ。我々を含めた大宇宙の全存在はありのままに存在している。その存在について「業」だとか「妄」だとか「法」だとか「神通力」だとか「修行」だとかつべこべ言う意味はない。そんなことに意味はない。現実に今この瞬間に存在している。それが全てだ。

 世界は神が創ったなどという突拍子もないことを仏教は言わない。

 もちろん、科学として宇宙の誕生を探求したり、生命の発生を追及することは重要なことだ。しかしそれは科学という分野において重要なのであって、今この瞬間に生きるためにはどうでもいいことだ。

 何回も書くが、仏教に神秘性を被せようとする奴らは詐欺師だ。仏教で金儲けしたいだけの輩だ。信用してはいけない。

 毎日坐禅して正法眼蔵を読んでいればいい。それだけでいいのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る