第157話 摩訶般若波羅蜜その二十八 経典は読めない
前回までで摩訶般若波羅蜜の巻はおしまい。
般若経、般若心経を引いて道元禅師が摩訶般若波羅蜜とは何かを説かれた巻だ。
何回も書くが、私は仏教学を学ぶ者ではないし、僧侶でもない、宗門とも一切関係がない。
ただ坐禅した身心で生きることで何とか生きられるという実感を持っているだけの者だ。坐禅して正法眼蔵を読んでいれば何とか生きていけると信じている者だ。
経典を読みこなさなきゃ駄目だ、仏教用語を理解しなきゃ駄目だなんて言われたら、悩み苦しんでいる人は救われることはないだろう。経典なんて膨大にある。どれをいつまでに嫁というのか。それに読んで理解などできる訳がない。今この瞬間悩み苦しんでいる人に膨大な経典を読めなんて言ったら絶望するだろう。仏教用語を頭の中でこねくり回しているうちに心療内科のお世話になるようになるだろう。
今我々が生きているこの大宇宙、この世界は真実・真理なのだ。しかし人間は利得とか欲望とか地位とか様々な妄想によって目の前の真実・真理が見えなくなってしまっているのだ。
だから坐禅して身心脱落し本来の面目を取り戻し、今この瞬間生きているこの世界が真実・真理であることを体得・体感しなければいけない。
坐禅していればいい。それだけでいいのだ。正法眼蔵も読めばそれ以上何もしなくていい。そう思っている。
坐禅しなければ正法眼蔵は絶対にわからない。そう信じている。坐禅せずに正法眼蔵についていくら考えても、何を言っても全く無駄だ。澤木興道氏がおっしゃっているように「正法眼蔵は坐禅の中身」を書いているからだ。
だから坐禅してくださいな。
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