第144話 摩訶般若波羅蜜その十五 仏教用語はわからない

 「釈迦牟尼如来会中有一苾蒭、竊作是念、我応敬礼甚深般若波羅蜜多。此中雖無諸法生滅、而有戒蘊、定蘊、慧蘊、解脱蘊、解脱知見蘊施設可得、亦有預流果、一来果、不還果、阿羅漢果施設可得、亦有独覚菩提施設可得、亦有無上正等菩提施設可得、亦有仏法僧宝施設可得、亦有転妙法輪、度有情類施設可得。

 仏知其念、告苾蒭言、如是如是。甚深般若波羅蜜、微妙難測。」

 ここのところは、水野弥穂子氏約注の「道元禅師全集第一巻正法眼蔵1」の62ページ、63ページをもとに私なりに書き下してみる。

 釈尊のもとに集まった人々の中に一人の苾蒭びっすう(出家した仏弟子)がいた。ひそかに思った。「自分は非常に奥深い般若波羅蜜多を敬い礼拝しよう。この般若波羅蜜多の中では森羅万象生まれたり、滅したりということはないのだけれども、戒の集合、定の集合、慧の集合、解脱の集合、解脱した知見の集合という形で理解することができる。また預流果よるか一来果いちらいか不還果ふげんか阿羅漢果あらかんかというような四果しかという段階を設けて般若波羅蜜多を得られるようにしている。また独りで真実・真理を得るという方法もあり、これ以上ない均衡のとれた真実・真理を得るという方法もあり、また仏法僧という三宝を設けることによって真実を得ることもでき、また釈尊が説法をして生きとし生けるものを真実に至らせるということもある。」

 釈尊はその苾蒭の思いを知って、彼に告げて言った。「そのとおりだ、そのとおりだ。般若波羅蜜は微妙なものであり人間が「こういうものだ」と推し量ることができないものだ」。

 般若波羅蜜、智慧の完成は「こういうもので、こうすれば得られる」と言葉で表現できるものではない。人間の脳味噌で考えられるものではない。

 しかし般若波羅蜜は現実にあり、体得することができる。そのために様々なことが説かれてきた。実在するが言葉では表現できないから様々な言いようが生まれた。

 私はここに出てくる仏教用語についてはほとんどわからない。わかろうとも思わない。そんな時間は残されていない。

 ただひたすらに般若波羅蜜を信じ坐禅するのみである。それでいい。それがすべてだと信じている。

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